人はなぜ港区にこだわるのか

人は港区が大好きだ。

 

正確には、港区が好きなのは、一部の港区信者だけだ。

 

港区信者になぜ人はなってしまうのだろうか。

 

僕は港区に住んでいるが港区のよさはあまりわからない。

 

港区には住んでいない"港区女子"にも全く興味はない。

 

港区の面積は決して大きくなく、広尾、六本木、白金、麻布十番あたりくらいしかない。

 

そこのエリアは無駄に家賃が高く、港区に住む意味も感じられない。

 

だが、港区の無駄な高さは、マーケティングによって積み重ねられたものだ。

 

東京の南のほうなのであまり詳しくはないが、昔、東急東横線はまったく開発されておらず人気のないエリアだった。だが、今や、中目黒は人気のエリアになっている。

 

遠すぎて足を運ぶことはないが、自由が丘や学芸大学も人気らしい。これらは、東急電鉄をはじめ、鉄道会社やデベロッパーががんばった成果である。

 

マーケティング費用をかけたから改修するために港区は高くなっている。

 

つまり港区の価値はよくわからないけど、港区にとりつかれている。よくわからないけど、バーキンを買いたくなっている女子大生となんらかわりない。

港区に住んでても意味がない。

 

とりとめのない文章になった。また港区について書きたいと思う。

 

 

人生の短さと、はかなさと、愚かさと。

東京都を離れ入院を1週間していた。正確には、まだ退院しておらずこれから最終晩を迎えることになる。入院中は、24時間監視体制がつき、トイレも一人ではいけない。入院中は仕事をする気まんまんだったが、6日目を終わってみて、記憶がろくにない。

 

本当に記憶がないのだ。

 

とりあえず苦しかったことだけは覚えているのだが。

 

病棟では負のエネルギーがうずめいているかと思っていたが近代的な病棟になっており、負のエネルギーというより無のエネルギーを感じた。どことなく、生死を感じない病院の作りになっている気がしている。生死が起こるような入院をするようなところではないからかもしれない。

1週間、知っている人とはだれとも会話をしていない。文字通り孤立していた。

そして3日目からはほとんどなにも食べてれていない。3日目は、何も食べていないし、4日目はゼリーしか食べれていない。6日目の今も何も食べれていない。明日になったら何か食べれているのだろうか。ものがのどをとおる気配がまるでしない。

 

思い出すのは苦しかったことだけだ。

 

明日晴れているのかはわからないが、1週間お風呂に入っていないし、1週間肉も食べていないし、5日くらいまともな固形物を食っていない。

 

死にかけたからだにリンゴジュースのあまみがとめどなくしみる。

 

リンゴジュースを3日間のみ続けてあきたあとは、MATCHだ。炭酸飲料がこれほどおいしいと感じられたこあとはいまだかつてあっただろうか。

 

果肉たっぷりのミカンゼリーにたくさんのお金を使いたい。

 

はずれかけた精神の枠を元に戻す作業をしながらこの文章を書いている。

 

前向きな1週間だったかは今後の自分の人生が決めることである。

 

1つ言えることは、やりたいと思ったことは今やらないといけないし、今からでも遅くないということだ。目のまえにある幸せをたくさんかみしめつつ、広く深く、もぐっていきたい。

そんな生き方を明日からもできるように努めていきたい。

 

とりあえず明日で退院のようだ。

グレイテスト・ショーマンを見た感想

www.foxmovies-jp.com

 

グレイテスト・ショーマンを見てきた。

話題になっていたけど、面白かった。

何が面白かったかというと、想像していたものとは違い、起業家のストーリーそのものであったからだ。

-創業間もない貧困期間

‐ふとしたチャンスでブレークスルーを起こす瞬間

‐採用の難しさとリクルーティングにおける熱意の重要性

‐事業のリスクをとるタイミングと長期的ビジョン

‐起業家が陥り勝ちな家庭崩壊

これらをすべて含んだ映画だったからだ。ミュージカル映画とはとても思えず面白かった。

起業家は一度見たほうがいい映画であると思う。

むしろこれは、一般の若い層に刺さっていくのかが個人的には疑問だった。

ミュージカルの内容自体は面白かったのでぜひご覧になってほしい。

映画レビュー:オデッセイ(ODYSSEY)

映画レビューもしていきたい。

ODYSSEYとは長い冒険という意味だ。 

2015年に米国で公開された映画だ。

映画のストーリーはNASAの宇宙飛行士が火星でのミッションを遂行中に、気象が原因によりミッションを中断する途中、宇宙飛行士のマークワトニーがアクシデントにより船へ戻ることができず、ワトニー救出をあきらめ、船は出発した。

誰もがワトニーは死んだと思っていたが、地球にいたNASAの職員は生存を信じ調査したところ、衛星経由で生存らしき様子を発見。

しかし、救出に向かうまで火星時間で2年は生きる必要があり、ワトニーは食料の確保に走る。

NASAのクルーは各分野の科学のバックグラウンドで構成されている。ワトニーは植物学者であったため、火星でジャガイモの栽培をはじめた。有機物が必要であったため、NASAの宇宙飛行士が残した排泄物を活用し、また水に関しては、水素を燃やすことで発生させ確保しジャガイモの栽培に成功した。

 

しかし、ジャガイモを栽培していた施設が故障し、ジャガイモの苗はすべて死に絶え、残っている食料だけで生きる必要がでてきた。

 

少ない食料で生き抜くと同時に、地球からの救出も短時間にすべく、各チームが一丸となってとりくみはじめる。

宇宙ではあらゆることにおいて優先順位付けと意思決定が求められるが地球でも同様のことが求められ、メンバーは最低限必要なものとやるべきことを抽出し、ワトニー救出に向けて最短ルートを確保していった。

だいぶネタバレになるのでこれ以上はあらすじは書かないが、

-絶望的状況でもあらゆる叡智を結集し、なんとかできないかと試みること

-追い詰められたなかでハードワークをできるか

-どんな状況でもユーモアをもつこと

こうした大切さを実感できる映画であった。ややリアリティが欠ける部分があったが非常に面白い映画であった。

躍動感もあり、途中で退屈になることはほとんどない映画であったのでご覧いただきたい。

☆☆☆☆の映画である。(5段階中)

 

こちらを使用してご覧になるとよいだろう。 

 

Fire TV Stick (New モデル)

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1K20m^2の豚小屋に住む港区の若者

港区の家は値段の割に本当に狭い。25m^2の1Kで10万円をこえるのはあたりまえだ。もちろん古びた、築20年以上で階段しかないアパートだと話は別だが。

きちんとしたマンションになると15万円の1Kも当たり前で麻布とつくエリアでは家賃と広さがまったく見合わないように感じる。

恐らく広大な北海道の土地から引っ越してきた人にとっては、恐ろしく狭く感じるだろう。豚小屋か鳥小屋のように感じて、狭い土地の中に何百人もの人が飼われている様子はブロイラーもびっくりすることだろう。

しかし、考えてみるとこの狭い豚小屋こそが、若者のエネルギーの源になっていると考える。

昨今の若者は家から出ないと言われている。だが、1Kの家だと家でそこまでゆっくりできず、家からでてたまったエネルギーを解放したくなるものだ。

特に20代前半から中盤の若者であるならば六本木や西麻布に繰り出してエネルギーを発散したい。

港区に住むものにとって、実家暮らしのボンボンでない限り、六本木や西麻布で何かをすることではなく、そこに金曜や土曜の夜にいたことが価値になっている。

今日も、六本木や西麻布の夜に埋もれて、まみれて染まった港区の住人になったことがうれしいのだ。

もちろん西葛西や国立、大宮に住んでいても、西麻布で遊ぶことはできるが、若者が終電後にタクシーで帰るには遠すぎる距離だ。

かといって終電で帰るのは芸がないし、毎週朝の始発まで待つのはしんどい。

港区民は時間を気にせず、2時や3時にタクシーで帰ることができ、その特権を得られた港区民の高揚感たるや半端ない。

君も港区民に迎え入れられたのか、私はもう港区民だよ、という多数の目配せが交差する六本木交差点において、港区民でないことはパスポートをもたずにボリビアを歩いているようなものなのだ。

さて、話を戻すと、狭い鳥小屋に住んでいることで、エネルギーをためこみ金曜や土曜の夜に、六本木で発散するのである。家が狭い故に正負のあらゆるエネルギーが体をとりまき、発散のための素晴らしきブースターができる。

30代になると、このエネルギーはなくなり、六本木にあらゆるエネルギーをもちこむことなく、すでにから近い、蓄電池をdischargeするくらいの勢いしかない。

六本木を支配するエネルギーは若者からしか溢れない。六本木の若い女の子たちをおじさんの札束が支配しているというのは大間違いで、せまいいえに住む港区女子こそが札束を支配し、六本木の夜を支配しているのだ。

この世を支配した気になった成金たちはこの事実に気付かずお金をばらまいていることだろう。

「三田」はどこにあるのだろうか?

ある日、白金でごはんを食べていた。白金で優雅に肉を食べていた。そこに肉食には見えないおばあちゃんが入店してきた。肉を食べるのか?本当に、そう問いたかったが、目を合わせることなく肉に食らいついた。

おばあちゃんは、店員に尋ねた、店員がおばあちゃんに話しかける前に。

「三田に行きたいんですが迷っちゃって」

このとき、港区民は三田と聞くと何を想像するだろうか。三田駅だろうか、それとも"東麻布"こと赤羽橋がある港区三田を想像するだろうか。

三田駅は、港区にありながら港区芝にあるため住所は三田ではない。

さて、三田駅か、港区三田か港区民だと迷うだろう。

 

しかし、もう1つある。ウエスティンホテルや恵比寿ガーデンプレイスが存在するのも三田である。知っていただろうか。目黒区三田というものが存在する。

恵比寿に住んだことがある方ならわかるだろうが、目黒区三田は閑静な住宅街で落ち着いた町である。目黒清掃工場があるものの、たいしてうるさくはない。また、目黒区三田は恵比寿駅から目黒駅までのエリアであり住むには大変おすすめである。

話を戻そう。僕ばあちゃんの話を聞きながら、目黒区三田、港区三田、三田駅(港区芝)のどれだとすぐに頭を巡らせた。

おばあちゃんは目黒駅から来たといっていた。すでに相当歩いているだろう。そして、駅から近くなはずなんだけどねえ...と言っていた。

ここでピンと来た。目黒駅から最も近い三田は目黒区三田である。本ブログの読者は港区民であるので目黒区の話を出したら気分を害するだろうか。

 

申し訳ないが、おばあちゃんが探していたのは港区民が好きな三田ではなく、目黒区の三田であった。私はぴんときた。

 

距離が離れていたが、ラグビー部出身であろうばあちゃんの会話に入っていこうとした。途中、変なおっさんも会話に入って、三田駅を案内しようとしてた。

タクシーでいかないと三田は無理ですよ。間違いなく指している方向は品川だったので、三田駅を紹介することだろう。三田駅しかしらないということはこの人は港区民ではないのではないかと疑ったがそこにつっこんでいる余裕はない。

 

僕はモノホンの三田をおばあちゃんに教えようとかけだそうとしたその瞬間、目のまえにいた、店員とぶつかり、飲み物がかかりそうになってしまった。

だが、僕にとって今大事なのは、自分の洋服をふくことではなく港区に毒されて、三田といえば港区三田か港区芝しか存在しないと考えるその狭量な思考の人間たちを是正したい一心にあふれていた。

 

だが、丁寧な店員は私の服を拭こうとする。私は伝えたい。港区という狭量な人間たち闊歩する街ではなく、優しいファミリーマートの店員がいる目黒区三田の存在を。

 

だが、私のスタートダッシュもむなしく、急いでいたおばあちゃんはすぐに店をでたようだった。向かったのは残念ながら三田駅(港区芝)の方向だろう。

足腰の強くないおばあちゃんをさらに遠回りさせたことに自責の念を感じた。

なぜ世の中の「三田リテラシー」これほどにも低いのか。仮にもここは、目黒区三田のほうが近いんだぞ、そう心の中で主張したかった。

この記事を読んでくれた人に伝えたい。

三田は、

港区三田、港区芝(三田駅)、目黒区三田の3つあることを。トラップにひっかからないでほしい。

港区民は目黒区に立ち入ることはないかもしれないが心の底で覚えておいてほしい。みなさんの心の中の三田はどこにあるだろうか。

もしかしたら兵庫県にも存在する三田があなたの三田かもしれない。

港区だけがすべてではない...そう思ってほしい。

東麻布に住んでいると主張する男

私の友人に、「東麻布」に住んでいると主張する男がいる。

しかし、彼の住所は残念ながら東麻布ではなく三田一丁目であり、れっきとした赤羽橋という駅が目のまえにはある。

恐らく港区民でも東麻布というと具体的な住所の区画が分かる人はあまりいないのではないだろうか。麻布十番の新一の橋から東京タワー側が東麻布だ。東麻布は住宅街で、バーもほとんどなく飲食店も地元民が多い店が多く閑静な住宅街で落ち着く場所だ。

欲望が渦巻く麻布十番とは全く違うので気にいっている。

そのため東麻布に住んでいることを名乗っていいのは東麻布という住所を所有しているやつだけである。

松濤の当たりに住んでいるといっているのに実際には道玄坂の古いマンションに住んでいたら興ざめではなかろうか。

繰り返す。東麻布と名乗っていいのは東麻布に住んでいる人だけだ。住所が港区三田になった瞬間、赤羽橋と名乗ろう。それか港区三田でいい。

ちなみに港区三田自体も家賃が高く、一般民ではなかなか住めないだろう。だが、東麻布と三田には大きな道路以上に見えない心の壁があることを覚えておいてほしい。

逆に、東麻布に住んでいる人は、なぜだか麻布十番に住んでいるという。

彼らに、なぜより正確な住所を言わないかを聞くとわからない人がいるからだ。という。

しかし、東京都内に住んでいる人としか大体あわないときに、赤羽橋を知らない人がいるだろうか。

いないだろう。君の家は赤羽橋だと小一時間いいたいどころである。

もうわかるだろうが、分かりやすい場所を伝えるという相手目線にたった発言ではなく、自分が住んでいる場所をよりよく伝えるために東麻布といっているのだ。

麻布という存在については謎につつまれているので元麻布、南麻布、麻布十番、東麻布をはじめさらに解説をしたい。