人生の短さと、はかなさと、愚かさと。
東京都を離れ入院を1週間していた。正確には、まだ退院しておらずこれから最終晩を迎えることになる。入院中は、24時間監視体制がつき、トイレも一人ではいけない。入院中は仕事をする気まんまんだったが、6日目を終わってみて、記憶がろくにない。
本当に記憶がないのだ。
とりあえず苦しかったことだけは覚えているのだが。
病棟では負のエネルギーがうずめいているかと思っていたが近代的な病棟になっており、負のエネルギーというより無のエネルギーを感じた。どことなく、生死を感じない病院の作りになっている気がしている。生死が起こるような入院をするようなところではないからかもしれない。
1週間、知っている人とはだれとも会話をしていない。文字通り孤立していた。
そして3日目からはほとんどなにも食べてれていない。3日目は、何も食べていないし、4日目はゼリーしか食べれていない。6日目の今も何も食べれていない。明日になったら何か食べれているのだろうか。ものがのどをとおる気配がまるでしない。
思い出すのは苦しかったことだけだ。
明日晴れているのかはわからないが、1週間お風呂に入っていないし、1週間肉も食べていないし、5日くらいまともな固形物を食っていない。
死にかけたからだにリンゴジュースのあまみがとめどなくしみる。
リンゴジュースを3日間のみ続けてあきたあとは、MATCHだ。炭酸飲料がこれほどおいしいと感じられたこあとはいまだかつてあっただろうか。
果肉たっぷりのミカンゼリーにたくさんのお金を使いたい。
はずれかけた精神の枠を元に戻す作業をしながらこの文章を書いている。
前向きな1週間だったかは今後の自分の人生が決めることである。
1つ言えることは、やりたいと思ったことは今やらないといけないし、今からでも遅くないということだ。目のまえにある幸せをたくさんかみしめつつ、広く深く、もぐっていきたい。
そんな生き方を明日からもできるように努めていきたい。
とりあえず明日で退院のようだ。