1K20m^2の豚小屋に住む港区の若者

港区の家は値段の割に本当に狭い。25m^2の1Kで10万円をこえるのはあたりまえだ。もちろん古びた、築20年以上で階段しかないアパートだと話は別だが。

きちんとしたマンションになると15万円の1Kも当たり前で麻布とつくエリアでは家賃と広さがまったく見合わないように感じる。

恐らく広大な北海道の土地から引っ越してきた人にとっては、恐ろしく狭く感じるだろう。豚小屋か鳥小屋のように感じて、狭い土地の中に何百人もの人が飼われている様子はブロイラーもびっくりすることだろう。

しかし、考えてみるとこの狭い豚小屋こそが、若者のエネルギーの源になっていると考える。

昨今の若者は家から出ないと言われている。だが、1Kの家だと家でそこまでゆっくりできず、家からでてたまったエネルギーを解放したくなるものだ。

特に20代前半から中盤の若者であるならば六本木や西麻布に繰り出してエネルギーを発散したい。

港区に住むものにとって、実家暮らしのボンボンでない限り、六本木や西麻布で何かをすることではなく、そこに金曜や土曜の夜にいたことが価値になっている。

今日も、六本木や西麻布の夜に埋もれて、まみれて染まった港区の住人になったことがうれしいのだ。

もちろん西葛西や国立、大宮に住んでいても、西麻布で遊ぶことはできるが、若者が終電後にタクシーで帰るには遠すぎる距離だ。

かといって終電で帰るのは芸がないし、毎週朝の始発まで待つのはしんどい。

港区民は時間を気にせず、2時や3時にタクシーで帰ることができ、その特権を得られた港区民の高揚感たるや半端ない。

君も港区民に迎え入れられたのか、私はもう港区民だよ、という多数の目配せが交差する六本木交差点において、港区民でないことはパスポートをもたずにボリビアを歩いているようなものなのだ。

さて、話を戻すと、狭い鳥小屋に住んでいることで、エネルギーをためこみ金曜や土曜の夜に、六本木で発散するのである。家が狭い故に正負のあらゆるエネルギーが体をとりまき、発散のための素晴らしきブースターができる。

30代になると、このエネルギーはなくなり、六本木にあらゆるエネルギーをもちこむことなく、すでにから近い、蓄電池をdischargeするくらいの勢いしかない。

六本木を支配するエネルギーは若者からしか溢れない。六本木の若い女の子たちをおじさんの札束が支配しているというのは大間違いで、せまいいえに住む港区女子こそが札束を支配し、六本木の夜を支配しているのだ。

この世を支配した気になった成金たちはこの事実に気付かずお金をばらまいていることだろう。