港区で食べる餃子
港区で食べる餃子はうまい。港区で餃子を食べたとき感動した。
同時に港区で食べる餃子には妙な緊張感が漂う。
タレを二度付けしていいいのか、酢を異常な量いれてもいいのか。
こうしたよそ者スタイルが港区で受け入れられているのか私にはわからなかった。港区の住人にしかわからなかったが、隣にいたデブなおっさんは一口で食べていたし、汚い髪色をした兄ちゃんは何口かに分けて、そしてタレを何度も付け直して食べていた。
こうして、港区の餃子の食べ方を学んだ。
「母ちゃん、僕は港区で餃子を食べれるようになったよ」と心の中でつぶやき、麻布十番のラーメン屋を出た。
どうやら餃子に食べるのに夢中で肝心のラーメンには何も手出しができなかった。港区のラーメンはあまりおいしくないものなのか、博多の一覧で食べた一蘭の方が全然おいしかたった、いや僕が食べているのは博多ラーメンではない、港区ラーメンなんだ。
そう思うと、不思議とラーメン屋さんの汚い看板が、重厚な老舗日本料理屋に見えてきた。
港区の餃子に関して不満をいうと羽根つき餃子屋さんがなかなか見つからない。羽根つき餃子の発祥は蒲田と言われている。蒲田は大阪でいうと十三に匹敵するところではないかと思っている。今だ蒲田は慣れないが、なぜ蒲田で羽がつきはじめたかについては別途調べたいところだ。
羽根つき餃子の店でおすすめなのはニイハオだ。
https://tabelog.com/tokyo/A1315/A131503/13045894/
羽根が主張する羽根つき餃子が多いなか、この餃子は主張がはげしくない優れた羽根月餃子だ。僕らを優しく、でも強すぎず見守ってくれる羽根がそこにはある。値段も港区からははるかに安い300円で食べることができず。
そう、ここは蒲田なんだということに気付かされておいしい餃子を今日も食べてしまった。
蒲田で餃子を食べると安心だ。タレは何度でもつけてもいいし、酢をたくさん入れてもいいし、なんなら酢だけでたべてもいい。蒲田は誰も怒らないので、自分のルールをつくっていい。
蒲田は寛容で、港区のように後ろ指を指す人もいない。
こうして僕は気づいたのである。餃子は港区では食べてはいけないし、港区の食べ物ではないということを。善良なる港区民は港区で餃子を食べることがあるのだろうか。
餃子について1時間ほど語ってみたいが、港区で餃子という単語を出すのもはばかられるので、僕は大きな声で餃子!と叫びながら蒲田の商店街を走って、蒲田駅に向かい、港区への電車にのった。(正確には乗り換えが存在するため直通ではない。)
餃子を見ていると、常に港区民を思う。港区の女性は化粧で自分を無理に隠している。その隠し具合は餃子の身を一生懸命、皮で覆っているみたいだ。餃子職人が一生懸命、身をつつむように、港区の女性は一生懸命、自分の顔を隠している。
餃子と港区女子に共通点があったなんて港区で餃子を食べるまで気づかなかった。港区うその魔境が餃子と女性をつなぎあわせたのだ。
こうして明日も仕事へ向かう。
港区に希望をもって働きにくる。餃子を食べたいことを隠して、シャンパンを飲みたいいうのだろう。僕の前では、「餃子を食べたい」そう言ってほしい。
ではまた。
東京都で生きるということ
田舎から東京都に出てきて10年以上がすでにたった。あの頃見ていた東京はあまりに巨大すぎて何も見えなかった。
では今30歳、アラサーになってみる東京はどうかというと相変わらず東京の大きさに飲まれたままだ。
10年前と違うのは、東京という巨人のすきをついて、彼の死角に自分が少しだけ安心できる住処を構築できたことだろうか。
東京カレンダーのような生活とは程遠い日常を生きている。
東京都の恵比寿や麻布十番の家賃は1K,30m^2で平気で15万円をこえてくる。学生時代のアルバイト1か月分をはるかにこえる。社会人という肩書で稼げる給料に感謝しつつ、東京の中心に住んでいることにひっそりと感謝している。
東京の中心が港区なのかは違うと思うが、自分が生きている場所は東京の、日本の、地球の、この世すべての中心なのでやはり東京の中心だろう。
残念ながら家の窓からは東京タワーは見えない。
毎日、生きながら食べたものや体験したものを記事にしていこうと思う。ブログは好きでよく続く方だと思う。これもきちんと続けたい。
平衡感覚が奪われそうな世界で、どこかにふられつつバランスをとりながら文字をつむいでいこう。